ずさんな時間管理が生んだ悲劇
ボール ウォッチは、1891年7月19日、創業者のウェブ・C.ボールが湖岸サザンミシガン鉄道の監督検査官に任命されたことから始まります。当時、アメリカの鉄道産業は目まぐるしい発展を遂げており、力強い「機関車」はアメリカ人の「アドベンチャー・スピリット」の象徴として映っていました。しかしその一方で、各地で鉄道事故も多発し多くの犠牲者を生み出していました。
1891年4月 19日、同鉄道で列車同士が衝突、大破炎上する事故が発生します。この事故で両列車の機関士は死亡、9名の乗務員が犠牲となり、アメリカ鉄道史上でも類を見ない大惨事となりました。このような悲劇を繰り返さないためサザンミシガン鉄道は、精度の高いクロノメーターの懐中時計を当時販売していたボールを事故の検査官として抜擢し、彼はその原因が列車の機関士が持っていた時計が4分遅れていたこと、そしてずさんな時間管理にあったことを突き止めます。
調査の結果を踏まえボールは、「鉄道標準時計の基準」と「時計検査システム」を制定し、自らも「ボール ウォッチ・カンパニー」を設立、鉄道員達に「正確な時間」を提供すべく尽力しました。ボールが定めた「鉄道標準時計の基準」は時計の精度はもとより、鉄道員の労働環境にも耐えうる耐衝撃性能、時計のサイズ、5姿勢での精度調整、瞬時の視認性を確保するために文字盤インデックスにはアラビア数字を用いること、また全ての鉄道時計に対して年2回の定期検査を義務付けるなど多岐にわたりました。その後、この基準と検査システムの導入によって事故の件数は年々減少の途を辿り、やがて全米鉄道の75%パーセント、総延長175,000マイル以上で採用、さらにはカナダ、メキシコに及ぶ広範囲で同基準とシステムがカバーされ、「ボール・タイム」という言葉が「正確な時間」を意味する代名詞にまでもなりました。「ボール ウォッチ」は、アメリカ鉄道に正確な時間管理の概念をもたらし、鉄道時計のあり方の基礎を築いたのです。
本社をスイスに移しながらも、創業以来変わらない『あらゆる過酷な環境のもとで正確な時を告げる』というブランド・ミッションを掲げ、当時の鉄道員達の過酷な労働環境下においても視認性に優れ安全に使用できる「丈夫で信頼性の高い時計(タフ&ディペンダブル)」という製品開発精神を今なおしっかりと受け継いでいます。全てのモデルの針と文字盤インデックスに取り付けられた「自発光マイクロ・ガスライト」は、いかなる場所でも昼夜を問わず四六時中発光し続け、暗闇で時刻を容易に読み取ることができます。そして「耐衝撃性」、「耐磁性」、「防水性」など厳しい環境でこそ機能する機械式時計の開発に力を注いでいます。近年では、ケース素材に耐蝕性の高い「904L」スティールの採用や「自社ムーブメント」の開発など注目を浴びています。
鉄道時計の父。ウェブスター・クレイ・ボールの偉業。
ボールウオッチの創業地であるアメリカで、1847年に創業者であるウェブスター・クレイ・ボール氏は生まれました。アメリカでは丁度南北戦争(1861~1865年)があり、懐中時計の需要が増していました。
混沌とした情勢の中、ボールは学校を卒業後、時計職人の見習いとして働き始め、修業後はセールスマン等でアメリカ全土を回りましたが、その時に各地で時計が差す時間が個々に曖昧である事に気付きます。当時は標準となる時間が定められておらず、街中にある大時計や個人が所有している懐中時計の時間は、現在の私たちには想像できない程不正確なものでした。
正確な時間への徹底した拘り。
1879年、ボールが32歳の時にオハイオ州クリーブランドに自身の時計店を開店し、1834年にようやく標準時間が制定されると、ボールは店頭にクロノメーターが搭載された懐中時計を飾り、店の街頭時計はワシントンDCのアメリカ海軍天文台の時報に合わせ、市民に正確な時間を知らせました。
正確な時間に拘ったボールの徹底ぶりは、やがてアメリカ全土に知れ渡るようになり、人々は正確な時間の代名詞として「ボール・タイム」という言葉が会話で使われるほどでした。
そして、1891年、クリーブランドの繁華街に「Webb C. Ball Company」を創業、ボールウオッチの歴史はここから始まります。
悲劇を二度と繰り返さない。ボールの想いから
正確な時間に人一倍拘ったボールは、ペンシルベニア州で「主任鉄道時計検査官」に任命され、鉄道従事者に正確な時間の重要性を訴え続け、時計検査の改善に従事しました。
そんな中、隣のオハイオ州のクリーブランド郊外で列車同士の正面衝突という大惨事が起こり、当時の鉄道事故としては最悪な事故であった事から、事故を重く見た鉄道会社から事故原因の徹底調査の依頼がボールのもとに届きました。
ボールは、4ヶ月の歳月をかけて事故原因を突き止め、同時に今後二度と同じような事故が起こらないように問題点も洗い出します。
当時鉄道員たちが使用していた懐中時計は、現在の時計のように正確ではなく、時間の進み方も曖昧で使用されている部品も粗悪であった事から、その結果、今回起こった事故では双方の鉄道員が持っていた時計には4分の誤差によるものでした。しかしボールは時間の遅れだけでなく、精度や時刻合わせの方法がバラバラであった事など根本的な要因も突き止め、その改善に乗り出します。
レイクショア&ミシガンサザン鉄道から主任鉄道時計検査官に任命されたボールは、鉄道の運行にふさわしい鉄道時計標準時間の基準の制定に乗り出し、当時の鉄道員が持っていたバラバラな時間をなくすように細部にわたって厳格に定められました。
ボールが定めた鉄道標準時計の基準一覧
- ムーブメントの径は必ず16ないし18サイズであること。
- 17以上の石を用いていること。
- 5姿勢で調整が施されていること。
- 誤差が1週間以内で30秒以内に収まること。
- 華氏40度から95度の温度で調整されていること。
- ダブルローラーを必ず用いていること。
- アンクル脱進機を必ず用いていること。
- リューズは12時位置にあること。
- シンプルなアラビア数字と重い針を必ず用いていること。
これらの基準は、当時の過酷な鉄道員等の労働環境に耐えうる「耐衝撃性」「視認性」を考慮されたものであり、現在のボールウォッチにも引き継がれている設計思想であリます。
更にボールは、時間管理の曖昧さも事故の原因であったと結論付け、検査システムについても「時間管理局の各検査官は、自らの時計をアメリカ海軍天文台の標準時に合わせなければならない」など厳格な基準を設けました。混乱の要因でもあった鉄道会社が独自に設けていた「鉄道公式時間」をについても、これを統一するように定めました。
このように、ボールウオッチでは「あらゆる過酷な環境のもとで正確な時を告げる」というブランドミッションを掲げ、「丈夫で信頼性の高い時計(タフ&ディペンダブル)」の製品開発精神を、現在もしっかり受け継いでおり、これからもずっと変わらぬ精神で歩み続けます。